SDGsと箱舟と種について

↑これが、生物多様性の「箱舟」?、当たらずしも遠からず?

水辺に遊ぶ会は、1999年にできたのですが、ずーっと思い続けているのは、自然と人間との共生ということです。自然というのは、豊かな富を与えてくれることもあれば、巨大な災害を引き起こすこともあります。人は試行錯誤を繰り返しながら、自然との距離を常にはかりつつ、時には敬い、時には怖れ暮らしてきました。そして、その中で、その土地特有の文化が育まれてきました。

私たちは、ある時から自然をコントロールする知恵を身につけました。それは、うまくいったり失敗したりを繰り返しましたが、どうにか一定の成果が実現できたのです。きっと里山的な自然がそれですね。ただ、私たちは、ここ100年余りの間に地下資源という膨大なエネルギーを手に入れ、それまでその土地で得た知恵の数々を捨て去り、近代化の名の下に大規模な活動を地球規模で行ってきました。気づけば、私たちは惑星改造とも言える程の自然改変を成し遂げました。安心安全を手に入れ、人口は100億人に迫ろうとしています。

緑の革命と開発により農業は発展、経済は巨大化し、衣食住も安定、医療の進歩でちょっとした病気で亡くなることも無くなりました。昔の人々が夢に見ていたことの多くが実現されたと言っていいと思います。全てはめでたしめでたしならば、良かったのですが、だいたい世の中は、あちらが立てばこちらが立たずというトレードオフの関係にあります。

それらの結果、自然はやせ細ってしまいました。ちょうど青虫がみかんの木の葉っぱを食べ尽くすように食べてしまったのです。経済学で言うところの外部効果(自然環境のことですね)として、会計帳簿に出てこないコストについては考えてこなかったんですね。つまり、世界全体では、プラスマイナスゼロですが、人間の経済にはプラス、自然環境にはマイナスだったということです。

イスラエルのワイツマン科学研究所によると、地球上の全ほ乳類の内、家畜とヒトで96%を占め、野生動物は4%に過ぎないという結果が出てます。ゾウやキリン、ヌーの群れ、シカ、キツネ、タヌキ全部入れても4%しかいないんですね。

2014年のFAOのデータによると、ヒトは73億人、牛は14.7億頭、豚9.9億頭、羊12.0億頭、山羊10.1億頭で、ほ乳類の家畜全体としては50.0億頭ということらしいです。すさまじい数字ですよね。この数で地球をむしゃむしゃ食べるのです。元々他の動物たちが食べていたものを私たちヒトと家畜が食べているのです。

ここでまた視点をちょっと変えたいと思います。今SDGsという言葉がはやっていますよね。持続可能な開発目標。だれ一人とこり残さないというのがスローガンのようです。なんで、こんなことを言いはじめたかというと、人口が増えすぎて、開発が進み、私たちの生活のベースとなる自然環境がどんどん悪くなっていること、それとつながる農業や私たちの生活も心配されることなどの問題が出てきたからです。そして、それらの問題を解決したいという願いから国連が世界に訴えているのがSDGsです。その目的は、世界の人々が幸せに暮らせるようにすることです。

問題に取り組もうとする姿勢は素晴らしいですよね。でも、世界は単なる善意だけでは中々動かないようです。今、このような動きが広がったのは、ESG投資と呼ばれる巨大な資金が動いているからだと考えられます。ESG(環境・社会・統治)とは、環境や社会のことをキチンと考えて経営して下さいねという、お金を貸す立場の人々の考え方のことです。

これも中々素晴らしいと思いますよね。ですが、違う考え方ができるのかも知れません。

またちょっと違う話をしましょう。日本が戦後(この言い方も古くなりました)高度経済成長を成し遂げたことは多くの人々が知っていると思います。貧しかった生活が一気に豊かになりました。こういったことは、日本だけの奇跡でも何でも無く、世界各地で次々と起こりました。韓国でも中国でも、ミャンマーでも。そして、今、アフリカが最後のフロンティアということで開発が進められています。でも、アフリカの開発が終わったらどうなるのでしょう。成長が終われば世界全体で社会は成熟し、人口は減少、高齢化、消費の低下なんかをもたらすかもしれません。こうなるとESG投資なんて言っているお金持ちの皆様にとっては投資する場所がなくなってしまうと言う心配が出てくるんじゃないかなぁ。

だったらどうするかというと、英植民地時代の親分セシル・ローズよろしく、それはもう宇宙に進出するか、社会全体を作り替えるしか無いという考えが出てきても不思議ではありません。民間宇宙産業の動きはニュースなんかで知られるようになってきました。来るべき次の社会だというsociety5.0なんて言葉も聞かれます。既存の産業を作り替えてしまう。これまでエンジンで動かしていた自動車を電気モーターに切り替える。化石燃料で作っていた電気エネルギーを自然エネルギーに変える。そこには膨大な設備投資のための資金が必要であり、お金持ちの皆さんの出番というわけです。

まるで、コンピュータの基本ソフトを変えて、今まで使っていたソフトを一気に使えなくしてしまい、新しいものを買わなければならないように追い込むような感じですよね。SDGsもその流れの中で考えて行く必要がありそうです。

また、ヨーロッパを中心に風力発電などの再生エネルギー産業の発展が根っこにあって、脱炭素社会を強弁できるといこともあるでしょう。同時に、地球環境のことを考えない国や企業からの輸入を制限したり、炭素税などの一種の関税を導入して、ちゃんとやる国、しない国のブロック経済を作ろうしているようにも見えます。

でも、まぁ、全体によりよい方向に進んでいけばいいのではないかとも考えられます。環境問題は、人口問題かつエネルギーの問題です。何とかうまいこと経済を回しつつ、少ないエネルギーで生活していければ良いのではないでしょうか。そして、今生きている世代だけでなく、子どもや孫、これから生まれ来る人々にとっても幸せになれる材料を私たちは残していく必要があるのだと考えます。

振り返って、水辺に遊ぶ会が行っていることは、何かと考えますと、実は「ノアの箱舟」のようなものじゃないのかなぁと思うようになりました。中津干潟やその周辺地域には絶滅危惧種と言われる生きものたちが一杯いることはご存じだと思います。ですが、それらの生きものの役割などについては一部を除いてほとんど分かっていないというのが現状です。役割が分かっていないというのは、困ったものなのです。ある日突然、特定の種がいなくなったと思ったら環境が激変してしまったなんて話は、各所にあります。有名な物語としてはラッコの話があるのですが、それはまたの機会にしますね。このような重要種のことをキーストーン種と言ったりします。

どの生きものがキーストーン種なのかというのは事前に中々分かりません。いなくなってはじめて分かることも多いんです。何とも知れない小さなエビが、高級魚の大切なエサ生物だったりして、絶滅したら高級魚も激減するかも知れないんですね。なので、私たちは、今ある豊かな自然を残そうとするなら、生態系全体をそのままの状態に保全していかなくてはなりません。一度壊れた自然を元に戻すことは至難の業です。ていうか、本当には元に戻せません。莫大なお金を使って、自然再生を行っているところもありますが、それも大切ですけど、今残っている自然をそのまま伝えて行くことの方がさらに重要度が高いのです。

さて、ノアの箱舟ですが、旧約聖書では、神様が人間を作り、その人間がいい加減なことばかりやっているので、一度滅ぼそうと考えたのだけど、いいヤツもいたので、そいつには伝えておこうとした相手がノアという人だったということでしたよね。確か…。そして、地上の全ての生きもののツガイを箱舟にのせて、神の怒りの洪水から守り、世界をはじめからやり直した…。といったお話しだったと思います。

何が言いたいかというと、つまり、希少生物が多数生息する場所というのは、来るべき再生された自然のための貴重な「種(たね)」のつまった「箱舟」だということなんです。現在の国内の自然は、人口の増加、激しい自然の改変の結果あまり良い状態では無いと考えられます。そういった中で、中津をはじめ、いくつかの場所では自然はまだまだ素晴らしい状態で残されています。なので、それをそのまま「箱舟」に見立てて次の時代に伝える事が大切だと考えます。

50年後100年後の時代、今より人々は少し賢くなっていて、もう一度自然との関係を取りもどそうとするかも知れません(しないかも知れないけど…)。その時、生物の多様性が、残ってさえいれば再生は比較的容易に進むと思います。もっとも、多くの希少種などの生きものたちが絶滅したとしてもそれに似た生きものはいずれ再生します。ただ、それにかかる時間は、少なくとも数十万年とか数千万年とかになるでしょう。私たちの子や孫が暮らす100年後の世界での再生は不可能です。一度滅びた種は決してよみがえることはないのです。

ところで、その保全にしても、何かこう怒ってばかりとか、辛抱ばかりしていても仕方が無いですよね。今、ここに暮らしている人たちとミンナで一緒に楽しみながらやっていく。そういったスタンスをとっているのが水辺に遊ぶ会なのです。何よりもまず、自然に触れて、自分たちが楽しむことを大切にしたい。

今の親世代、子ども世代は、本当にビックリするほど自然体験が少ないです。私たちは、そういった方々に自然にふれあえる機会をできるだけ多くつくり、楽しんでもらいたい。そして、体験を通して何か考えられるようになったら、考え、行動したくなったら行動する。私たちはそのきっかけをこれからも作っていきたいと考えています。そして、それもまた、もう一つの「種」なんじゃないかなぁなんて思っているのです。

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