水辺に遊ぶ会って?

水辺に遊ぶ会が目指すもの

遠い昔、縄文時代、古代中津人は河口の巻き貝を拾い、
遠浅の干潟で二枚貝や魚を捕ってくらしていたことが、
貝塚などからわかっています。

弥生時代には、稲作の傍ら、粘土質の泥をこねて小さなつぼを作り、
野焼きして海に沈める飯蛸壷漁なども盛んに行われました。

戦後の食糧難を支えたのもこの豊かな海でした。

干潟で捕れるアサリやハマグリで、多くの人が生命をつなぎ、
海沿いの道は捨てられた貝殻で一面真っ白だったと聞きます。

春と秋の浜遠足、ザルを片手に夕飯のおかずを捕る人、
風呂の焚き付けに松葉や流木を拾い集める子どもたちの姿…。
遠い昔からほんの数十年前まで、中津の海と人は仲良くくらしてきました。

ところが時代が豊になるにつれ、
人々の足は遠のき、いつの間にか海と浜は忘れられた存在になり、
人気がなくゴミが捨てられた海岸は「行ってはいけない場所」になってしまったのです。

この干潟に目が向けられたのは、中津港が重要港湾に指定された1999年。
「必要ないから埋めてしまえ」と言われた大新田の干潟に、
おっかなびっくり足を踏み込み、小さなカブトガニを見つけました。
地面近くしゃがみ込んで、周りを見渡すと、
無数の生きものたちがうごめき、干潟は彼らの小さな声と生命であふれていました。

この驚きと感動から、私たち活動は始まりました。
この時の感動は、13年経った今も私たちの活動の原動力となって、心に息づいています。

私たちの祖先が大切につきあってきた身近な海や水辺の自然をきちんと見つめ直し、
自分たちのくらす中津の海や水辺の未来を考えるため、
私たち海辺にくらすものは、
もっともっと海のことを知る必要があるのではないでしょうか。

遠ざかってしまった「海と人の心の距離」を取り戻し、
中津の海や水辺と人々のくらしをつなぎ直すために、私たちは活動を続けています。

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