足利由紀子理事長が逝去いたしました

2020年10月14日午前9時4分足利由紀子理事長が逝去いたしました。享年57才。あまりにも若すぎました。まだちょっと信じられません。今にもジムニーに乗って、文句を言いながらも笑顔でやって来るような気がしてなりません。

足利理事長は、21年前の1999年に水辺に遊ぶ会を創立し、文字通り全身全霊を注ぎ中津干潟の保全に尽くしてきました。地域の方や研究者の方に声を掛けられれば、夜中だろうが、私用があろうがいつでも笑って駆けつけ協力を惜しみませんでした。

縁あって長野県から大分県の中津市に移り住み、家族と静かに暮らすことも考えられたのでしょうが、目の前に広がる干潟の海で小さな生きもの達の息吹に出会ったことで、苦労の絶えない保全の道を踏み出すことになりました。

子どもの頃から生きものが大好きで、長じては深く生物学を学んだ足利理事長は、干潟の生物群が健全な状態で残されている極めて希な環境を発見してしまったことから、このままこの奇跡のような場所が、誰にも知られること無く消えていくことに耐えられなかったのだと思います。

その純粋な思いに共感する人々が徐々に集まり、しだいに一人では決してできないような様々な事業を実現させていくことになりました。草創期には、自然のままの環境を保持しながら安全を確保するセットバック護岸の実現に関与しました。これは、公共事業を市民による合意形成会議をへて再考するというほとんど前例の無い事業として結実しました。縁もゆかりもない地元中津の漁業協同組合と協力して昔広く中津干潟で行われていたササヒビ漁の再現も行いました。これも理解ある協力者がいなければ決してできなかった事です。この時は協力者の皆様とともに年中山に足を運んでひたすら何万本もの竹を切り続けました。

また、古代豊前地域で行われていたイイダコツボ漁の再現ワークショップを開いたり、干潟を代表するの漁業の一つである海苔すき体験のワークショップをつくるなど独創的な事業も展開して来ました。近年は、中津干潟を研究対象とする大学関係者や学生、漁業者、市民が一堂に集い広く対話を行う「中津干潟アカデミア」を開催しています。そして年4回のビーチクリーンや各種の調査研究活動、毎年のべ2000人余りが参加する小・中学校や一般を対象にした各種の授業や自然観察会は今も続けています。

多くの人々が、足利理事長の人となりと活動の意義に共感を覚え、全方向的な協力を惜しまない強固なつながりが広がっていきました。

ただ、彼女がどうしても実現したかった、中津干潟の恒久的な保全を実現する公的な枠組みへの登録は、様々な障害に阻まれ生前に実現する事はついに叶いませんでした。また、地域の子ども達やこれから研究者などを目指す若者達、環境や自然科学に興味関心を持つ市民が集える博物館「中津干潟ネイチャーセンター」の実現も道半ばで実を結ぶことができませんでした。

彼女自身にとっては何の利益も無い血のにじむような努力に対して道楽者の烙印を押す地元の人々もおりました。智に働き生意気なと中傷する人々もいました。そういった人々は、果たして本当に面と向かって彼女と対話したことがあったでしょうか。

足利理事長はそういった人々に対しても何とか理解しようと、地域の歴史や文化的な背景なども根気よく調べ、地元の人々に話を聴く活動も広く行っていました。なぜ、彼らは干潟の環境を保全する活動に反対するのか、どうすれば理解を促せるのかを探りました。そして、そういった人々は必ずしも幸福でない事に気付き、そのことについても深く考えました。

干潟の保全活動については、ありとあらゆる方法を探り、文献を読み、人をたどりました。それらを基に、何とかこの奇跡のひがたを次の時代につなげたいと思いだけで活動を続けました。その過程で、活動が評価されさまざまな表彰をいただくことにもなりました。ある授賞式では、その時天皇でいらっしゃった現在の上皇と長い時間対話する機会も生まれました。上皇は魚類学者でもいらっしゃったことから、豊前海、中津干潟のアオギスについてもよくご存知で、その生態や生息状況などについてもご質問があったときいています。高名な学者や有名人の幾人かも中津干潟の希少性や重要性について深い理解を持って、活動を支持していただいています。

会のスローガン「生きもの元気、子どもも元気、漁師さんも元気な中津干潟を100年後も…」には、活動のエッセンスが込められています。希少な生物群が健全な状態で保全され、次世代を担う子どもや若者達が環境や自然科学について楽しく学びながら理解を深められ、干潟独特の漁業を持続的に行えるようにお手伝いをすることが私たちの使命です。彼女は、頭にハチマキを巻いた運動ではなく科学と優しさ、そしてあの満面の笑顔を武器に人々の目を拓く活動を行ってきました。いつか、地域の皆さんもこの活動の意義と干潟の自然の価値を理解してくれると信じて…。私たちは、これからもこの道を守っていこうと思っています。

干潟の保全は前述のように必ずしも実現できていません。次世代を育てるための施設も貧弱なものでしかありません。漁師さんのお手伝いも力不足で必ずしもうまくいっていません。ですが、私たちは、使命の実現にむけて、たとえ歩みは遅くても前に進んでいきたいと考えています。それが、今を生きる人々にとどまらず、未来の生命、人々にとってよりよい結果をもたらすと信じているからです。

足利由紀子という傑出した人物の想いを後世に伝えていくことが当面の私たちのしごととなります。その実現には、多くの人々の協力が欠かせません。

みなさま何卒ご協力のほどお願い申し上げます。

 

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