11月19日午後から大分市のトキハ会館で「おおいたうつくし作戦県民会議」が行われました。水辺事務局は初参加でしたが、足利初代理事長はずっと長いことこの会議に参加して干潟保全の立場から多くの意見表明、提言を行ってきました。
大きく5つの部会があって、水辺は「自然保護・観光部会」に所属させていただくことになりました。今回の中心議題は「地域と共生する再生可能エネルギーの導入について」でした。ので、ほんの少しですが事務局も考えてみました。
Fさんすみません、後ろ姿がバッチ写ってしまいました。知事も出席する全体会の風景です。
近代以降の人間活動によって二酸化炭素などのいわゆる温暖化ガスが増加した結果、気候変動、気候危機などとよばれる状況となっています。化石燃料を燃やし、森林を伐採し、浅海を埋め立てて豊かな生活を手に入れた代償に、気候変動という負の遺産を相続してしまっているのが現在の状況です。しかし、これから生まれ来る人々が遭遇するであろう大きな危機を防ぐために再生可能エネルギーの導入が検討されています。
ここで間違ってはならないのは、再生可能エネルギーの導入は決して目的では無いということです。目的であってはならないと考えます。それは、私たちや私たちの子孫が幸せに暮らせるようになるための手段の一つに過ぎません。一般に、ものごとを急速に導入しようとする時には大きな歪みが生まれます。物事を変えたり、新たなものを導入しようとする時、一定程度の理解と合意がなければなりません。そこをないがしろにすると「よいこと」をしようとしたのにも関わらず、「よくないこと」になってしまうことが多いのです。
気候変動対策の例を言えば、塩性湿地など沿岸域を埋め立てて、太陽光発電所を作ったとします。二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーを導入できた、素晴らしい!となるかと思います。でも、埋め立てた浅海沿岸域は、ブルーカーボンと呼ばれ、地上の草、樹よりも多くの二酸化炭素を隔離できる能力があることが分かっています。そういった場所を破壊して再生可能エネルギーを導入するのはやはりどこか本末転倒ですよね。長い目で見たとき全体として二酸化炭素量が増えるかも知れないし、私たちが生きていく上で欠くことのできない生物多様性の破壊も伴っています。
自然界というのは本当によくできていて、基本的に放っておけば「全体によく」なります。でも人々の生活を考えるとき、どうしても自然界に手を加えなければならない。だとするならば、現在分かっている知恵をあつめて、考えて、一番妥当なものを選択するしか無いと思うのです。人と自然の関わりの難しさ、重要さがそこにあります。
化石燃料が本格的に使われ始める以前は、エネルギーが制約となって、人々の活動は抑えられ、自然との折り合いを知恵を絞ってやらなければなりませんでした。でも人々は、膨大なエネルギーを手にしてしまったので、最大限それを利用して、現在のようなビル群が林立し、膨大なエネルギーを消費する都市生活を営めるようになったのです。
都市的な自由を手に入れ、飢えや寒さに凍えることは、それ以前に比べれば少なくなりました。不治の病もどんどん克服され人間にとって「よいこと」も随分と多くなったと思います。ただ、こういったことは、だいたいトレードオフの関係になっていますよね。あちらが立てばこちらが立たずといったやつです。人間にとっての短期的な豊かさは手に入りました。今問われているのは、それが必ずしも持続可能では無いということなのです。先に生まれた世代が自然の富を使い果たし、次の世代がその代償を支払うことのないようにという願いなのです。
気候変動の問題は、過去に行った、このような人間活動の結果です。近代を生きてきた人々はその恩恵に浴することができましたが、これから生きていく子どもたち、これから生まれ来る人々は、この負の遺産の返済を余儀なくされます。喫緊の大問題ではあるのですが、やはり科学的データをベースに、自然環境、社会歴史文化的な事柄、地域の事情などよく調べ、学び、話し合って進めていくべきだと考えるのです。
このあたりは、もう少し深掘りしないとなりませんねぇ。